女性活躍推進やダイバーシティ研修などを行うスリールの代表堀江敦子がDEIの先進企業の代表らにインタビューし、人材育成の悩み打開のヒントをお伝えする企画第二弾。キリンホールディングス株式会社 代表取締役副社長・CPO、法務統括の坪井純子さんにお話を伺いました。
「何のためのDEIか」が主軸の改革で企業は強くなる
堀江:CSV経営ということで、とても分かりやすく「グループ・マテリアリティ・マトリックス:GMM」を創られていますが、どういった経緯でここまで細かく設定しようという話になったのでしょうか。また経営戦略として、DEIを事業の中で1番インパクトの高い位置に据えている意味を改めて教えてください。
坪井: CSVとは「Creating Shared Value」の略で、日本語では「共有価値の創造」という意味になります。2011年にハーバード大学のマイケル・ポーター教授らが提唱した環境や社会課題の解決と経済活動を融合し、持続的成長の推進力としていく経営モデルです。社会と企業にとってWIN-WINになるようなバリューをクリエイトするということが経営のコンセプトとなっています。これはつまり、企業が価値創造をしない限り生き残れないということでもあります。ダイバーシティをどうやってイノベーションに繋げるのか、それが企業が生き残る、あるいは成長し続けるために必須要件だということです。社会に合わせて事業がトランスフォームしていく。だからこそ、CSVのCはコーポレートではなくクリエイティングなのです。
堀江:持続的に成長していくための指針として、「健康」「コミュニティ」「環境」、そしてそれらすべての土台となる「酒類メーカーとしての責任」と、4つのCSVパーパスを掲げていらっしゃいますね。ダイバーシティ経営の効果としても、他企業の見本となるようなプロダクト・イノベーションがなされていると思います。例えば、ノンアルコール飲料の歴史も、2009年にキリンビールが発売した世界初のアルコールフリーのビールテイスト飲料、「キリンフリー」から始まっていますね。飲酒運転が社会問題になった2007年から開発に着手されたと。まさに、社会課題の貢献と持続化可能な経済活動の融合であると感じます。CSV経営は、2012年にキリンホールディングスから打ち出しされた時は、世の中にほぼ流通していない言葉でしたよね
坪井:ピーター・ドラッガーがマネジメントの3つの役割について「組織特有の社会的機能を全うする」「社員が生産的に働き、自己実現する」「社会的責任を果たす」ことだと言っていますが、CSV経営はそれを実現し、継続していくことです。現在顕在化しているニーズだけが全てとは限りません。
堀江:東日本大震災での仙台工場の被災と復興も、CSV経営そのものだと感じます。
坪井:はい。東日本大震災で被災した仙台工場は、復旧がかなり難しい状態でした。この工場を一つ閉鎖しても成立する需給状態でしたから、一時は仙台からの工場撤退の声もあがりましたが、工場の周りにはエコシステムのように他の工場やメーカーさんがあり、また地域の皆様に支えられて事業をやってきました。被災した地域経済の復興を先導こそすれ、決して足かせになってはならないとの思いから、復旧してまた共に生きていく選択をしました。自分たちだけでは生きていけないわけですから、自社だけがよければそれでいいということではありません。
階層を跨いだ対話こそが改革の基盤
堀江:社会に生かされているからこそ、そこに還元をしていく。その考え方が脈々と受け継がれている中でのCSV経営でありDEIであるということがよく理解できました。人材の育成についても2006年からポジティブアクション規定を打ち出し、ワークライフバランスサポート休業制度やキャリアリターン制度などを制定されていますね。
坪井:人もまた、社会全体で育てるものだと思っています。社会からお預かりしているからこそ、大切に育てその力を社会のために還元していく。人間には無限の可能性があるからこそ、それを引き出していくのが会社の役割だと認識しています。これは、社内で最近言われたことではなく、キリングループとして持っている経営思想かもしれません。人財戦略の基盤となる人事の基本理念です。グループ人事の基本理念は「人間性の尊重」です。社員と会社がイコールパートナーという考え方です。
堀江: 社員と会社がイコールパートナーという考え、素晴らしいですね。経営陣と社員が語り合うような機会が多くあるという印象があるのですが、意識してそういう機会を設けられているのでしょうか。
坪井:社長はもちろん、私も、いろいろなところで対話集会をやっています。コロナ禍の時はリモートでしたけど、基本的には現場に出向いていくというスタイルでさまざまな階層でやっています。こちらから会社の理念や制度について伝えることもありますし、今悩んでいることを聞いて対話をする、ということを頻繁に行っています。年に10回程度、研究所に行くこともあれば、営業現場に行くこともあります。社長を含め、本社の部長以上のクラスはスケジュール的に忙しい中で、必ずやるべきこととして早々にスケジュールを組みます。性別関係なく開催しますが、女性にフォーカスして開催することもあります。こちらから現場にお願いすることもあれば、現場のマネジメントから「坪井さんちょっと来て話してもらえませんか」という感じで行くこともあります。
堀江:CSV経営の浸透というところでも、社員との対話の機会は設けてらっしゃるのでしょうか。
坪井:もちろんすぐにグループに浸透していったわけではなく、10年くらいの時間がかかりました。最初は、1つの部署が掲げてやっているものだという感覚もあったと思いますが、今はグループの全社員でCSVを知らない人はいないと思います。
堀江:浸透させていくためにどう伝えていかれたのでしょうか。多くの企業の人事担当者が関心を持たれるところかと思います。
坪井:そもそも、創意工夫のない業務は一つもありません。間接的であったとしても、会社の中で主要な仕事というのは必ずキリングループとして社会の役に立つ存在意義のある何かを作り出すための仕事ですから、「全員がCSVなんだよ」ということを伝え続けてきました。もちろん、全ての社会の課題を我々で解決することはできないのですが、自分たちの強みを課題解決に繋げていくために役員もまた、「私たちは、この辺りをやれるのではないか」という議論を繰り返しています。
堀江:今、企業の成長に必要なのは『なぜ多様性に取り組むべきか』を、理解し、社会の変遷に応じて、常に変わっていくことが必要ですね。DEIやSDGsの根源につながるお話が伺えてよかったです。
早回しキャリアで、女性管理職パイプラインのプール人財をしっかりと育成
堀江:ここからは、女性活躍の部分で改めてお話を伺っていきます。2006年にキリン版ポジティブアクションを制定され、2007年に「キリンウィメンズネットワーク」を発足されていますね。
坪井:キリンホールディングスが会社として、女性活躍に本気で取り組むという強い意志を示したのは2007年、全女性社員が集合した「キリンウィメンズネットワーク(KWN)」のキックオフの時でした。特に女性は出産を機にキャリアが分断されています。職場に復帰した時にサポートできる体制を整えることと、今後もこの会社で働き続けたいと思われる会社づくりが重要でした。
堀江:2006年に男女雇用機会均等法が改正された翌年ですね。社会的にも女性活躍推進の機運が高まりつつある時期に、経営陣が、全女性社員を招集し、女性だけの全社会議を開かれていらっしゃいましたね。
坪井:それまでは、入社5年目前後の女性総合職の早期離職が課題となっていて、就業継続に向けた取組が中心でした。KWNから女性社員が抱える不安や悩み、さらに課題に対する解決策を直接経営陣に届けるという地道な活動からスタートしました。出産でのブランクがあってもキャリアに復帰しやすい環境づくりを進めていきました。
堀江:御社は、昨今の採用で42%、労働者全体で26%、管理職比率は13.6%(女性活躍データベースより)。各層に対してキャリアワークショップや、キリン・ウィメンズ・カレッジなど、施策を行いながら、パイプラインを構築されています。入社5年の間にブランクがあったとしても働き続けられるキャリアを構築するという取り組みの中で、特に重要視している施策や視点があれば教えてください。
坪井:まず、ジェンダーに対するアンコンシャス・バイアスへの気づきとマインド開発を
重要視しました。長期的に見た時に、ダイバーシティの取り組みがどう会社に利益をもたらすのかをマネジメントに理解してもらうところからはじめ、それを会社としてやっていくということを浸透させていきました。
堀江:2009年にはKWN推進委員から経営陣への提言が行われ、ワーク・ライフ・バランスサポート休業制度、自己都合退職後に、再入社して働くことができるキャリアリターン制度、2013年には在宅勤務制度の拡充などさまざまな制度が整備されてきました。同年、2021年長期経営構想として「KWN2021」が策定され、転勤の多い御社では、育児や介護の期間中、最大5年間は転勤を回避できる転勤回避措置なども取られていますね。
坪井:長期的にアサインメントしていくということをやっていきました。2014年には4%ほどだったグループの女性経営職(課長職相当)は現在13.6%になっています。これからは、意思決定層、つまり役員を増やしていく段階です。
堀江:若手(入社3年目)から中堅社員に対して「キャリアワークショップ」や「キリン・ウィメンズ・カレッジ」「Future Female Leader Training」など、ワークショップを開催されるなど、女性活躍推進を切れ目なく行っていると思いますが、特に効果があった施策は何でしたか。
坪井:最初は、経営職を増やすことを行っていっていました。ライフイベントがあるないに関わらず経営職を増やす為には「早回しキャリア」がとても有効でした。若い内から一皮むける経験を行うことが重要だと思っています。
堀江:早回しキャリアというのは、性別関係なく重要だと思います。しかしながら、社内には「経験資産」がそこまで多くなく、経験をさせていく事自体も難しいと言われることもあると思いますが、どのように対応されているのでしょうか。
坪井:まずは2014年頃から上司のアンコンシャスバイアスを払拭する、マインド改革事から始めました。経験はあくまで異動だけではないので、「女性だからこの仕事はさせられない」「育成をしない」のではなく、上司が長期的に見て自分の実施していることを少し下ろしていき、部下に意識的に経験をさせていくように意識付けていくようにしました。元々3-5年で異動を行う会社なので、異動の時やアサインの時などに、意図的に早めに行っていくなどを、人材育成計画の方針として打ち出していくようにしました。このような施策を行う事によって、2013年4%から2021年11%、2022年13.6%と経営職の女性が増えました。着実にプール人財を育成することで、しっかりと押し上げられてきています。
経営職育成のための段階的な研修と、役員のメンタリングで意思決定層へのパイプライン構築へ
堀江:他にも経営職を増やすための施策は行っていますか。
坪井:並行した取り組みを行っています。最初の頃は、経営職が少なく、特に営業部署の方などは経営職になるイメージが湧かないという課題がありました。その際に、ウィメンズネットワークなどで、ネットワーク構築を行っていきました。このことによって、経営職になる層はある一定増えてきているように感じます。
堀江:社員は、自分のいる場所の半径25メートル程度しか見ていないと言われることがあります。自分の身の回りにいなければロールモデルはいないと思ってしまうので、ネットワーク構築はとても重要な施策ですよね。経営職以降についてパイプライン構築についてはいかがでしょうか。
坪井:経営人財の育成として、非管理職層の「キリンビジネスカレッジ」と管理職以上を対象とした「キリン経営スクール」「キリンエグゼクティブスクール」の3つのコースを持っていますが、例えば、経営スクールはこれまで手上げだったためどうしても男性が多い傾向でしたが、そこもルールを決めて必ず女性が30%以上になるようにしました。当初は、女性に勧めても「え、私なんて」というように自己肯定感が低い発言もありましたが、最近は変化を感じています。
堀江:女性活躍の面で多くの企業さんのお話を伺っていると、管理職に上がる際の昇格試験の勉強を土日や夜に実施しなければいけなかったり、育児をしながら昇格試験のために勉強することが難しいという声も聞かれたりするのですが、昇格に向けてのサポートはどのようなことをされていますか。
坪井:座学で学ぶ内容ではなく、視座を上げた考え方を試験でみていくので、特にプライベートの時間を削って勉強するようなことではないと思います。上長が業務を通じて支援や指導を続け、会社もさまざまなプランを用意しています。例えばWEB研修で論理的思考などを学習しつつ日々の業務に活かしてもらい、業務を通じた視座のレベルを一次試験で見ています。2次試験は面接で、いかに社会全体、組織全体を見ているかを把握します。これについては、女性男性は関係なく、現在は、育休時にも昇格試験を受けれるようになっているので、性別関係なくチャレンジできる仕組みになっているのではないかと思います。
堀江:経営職についてのパイプラインは、かなり構築されているのですね。その次のタイミングとして部長層など意思決定層にいく部分はいかがでしょうか。
坪井:やはり、経営職から、意思決定層に行くまでが遅くなってしまっている状況があります。経営職になったところがゴールだと考える女性が多いのも事実で、男女で数値化すると明確に出ています。今後も、経営職を増やすための総合職向けの取り組みはもちろんやるべきなのですが、経営職になった女性や若手がさらに上に行くための取り組みが重要だと思っています。
社長の発案で、役員が1人10人のメンティを持つことを実践しています。私は女性活躍推進の役割もあり、10人持っていますが、全員女性です。
堀江:役員の方がメンタリングを行うことが難しいと感じられる会社さんもありますが、役員の方から拒否するような反応はなかったでしょうか。
坪井:特にありませんでした。冒頭のお話しにもありましたが、役員は常に現場のメンバーと対話する事が多いので、自分たちなりに実践しています。メンタリングを受けた方から、視座が高まって勉強になったという意見も来ているようで、とても嬉しいです。
専門性と多様性を融合させるキャリアコース変革で、より強い人財組織へ
堀江:「女性活躍推進長期計画2030」では、多様な人材確保と成長を実感できる環境の整備、仕事と生活の両立の実現、経営職の働きがい変革、意思決定層への女性登用の4項目を重点課題に挙げられていますね。現在13.6%である女性経営職比率と現在20%である女性役員比率をそれぞれ30%にすることを掲げられてもいます。現状、達成は見えていますか。
坪井:2030年の30%については、まだ頑張らなくてはならないと思っています。ただ、24年には15%はいけるのではないかと思っています。ですから、取り組みとしてはもう一段あるかと思いますが、キャリア採用も続けておりますので、マインドセットや制度を整えることで増えていくだろうと思います。そのために働き方だけではなく、働きやすさということを主眼に置いて、さまざまな制度を整えています。
堀江:ありがとうございます。もう一段頑張らねばとおっしゃっているものの、プール人材の育成もしっかりと行っているからこそ、達成に向けての方向性は見えているということなのですね。素晴らしいです。また女性だけではなく、全体のキャリアコースやキャリア意識の向上も重要なポイントかと思います。キャリア自律を促すために、キャリアコースについてなども工夫をされているのでしょうか。
坪井:来春から一部、新卒者をコース採用に変えていきます。ジョブ型に寄りすぎてしまうと、キャリアアップを行う際には転職してしまう可能性があります。また専門性を高めすぎると狭くなってしまうということも有ります。その為、自分のアンカーとしてのコースを決めながら、その要素を広げていきながら多様な経験もできるようにしていくような取り組みです。例えば私は、マーケのあと広報を行って、現在は人事を行っています。私のアンカーはマーケティング。それは相手のインサイトに答えるバリューを創るという意味では、広報も人事も同じだと思っています。キャリア開発というと、専門性が先か、多様性が先か、という話になりがちですが、専門性と多様性を切り離さないことが重要だと考えています。社会で通用する強みとして専門性の軸を持ちながら、経営環境の変化に対応できる多様な視点を持った人財を育成することが主眼です。
なりキリンママ・パパの全社展開で、DEIの意義が全体に浸透
堀江:営業職女性の活躍推進を目指すプロジェクトで取り組まれた、パパやママの立場を1ヶ月間、擬似体験するという「なりキリンママ・パパ」も話題になりましたね。弊社スリールでも「体験」を主眼に研修を行っており、管理職に育児体験を行ってもらう「育ボスブートキャンプ」というプログラムも行っています。改めて、御社にとって自分ごと化するような効果はどれ位あったのでしょうか。
坪井:「なりキリンママ・パパ」は、子どもがいない若手社員が1ヶ月間ママになりきり、時間制約のある働き方にトライするという実証実験でした。時間の制約、子どもの保育園への送迎、突発的な対応などが発生するというリアルな想定の上で実施し、労働生産性を向上させるために奔走するというものだったのですが、「新世代エイジョカレッジ」で大賞をいただきました。
堀江:実証実験プログラムをそのまま全社展開されたのですね。
坪井:はい。実証実験で終わらせるのではなく、2019年には全社展開を始めました。擬似体験するシチュエーションを「育児」だけでなく、「親の介護」「パートナーの病気」の中から選び、時間の制約や突発事態に対応しながら1カ月間体験してもらいました。本人だけでなく周りも含め、仕事の棚卸しをして効率的に考えるという体験ができて、「こうすればチームは回る。育児中の人がいても大丈夫だ」と確信が持てたなど、成果を上げていると思います。また、全社の中で「なりキリン」を知らない人はいないと思います。
堀江:凄いですね。浸透しているという現れですね。つまりは、誰かが休んでも回るような働き方や仕組みを創っていくという意識は高まっているのですね。
坪井:そうですね。もちろんまだまだ課題はありますが、「そうあらねばならない」という意識は高まっていると思います。
堀江:広報もご専門かと思いますが、なりキリンのように、社外に取り上げられて外部から言われるようになったことで、社内に意識が浸透したなと感じる事もありますでしょうか。
坪井:それはとてもあると思います。社内だけで実施しただけでは、実施している意義や価値が理解できなかったりすることもあると思います。また他社が行っている事が「自分達にもできそう」と思えることもあると思います。また、人事の施策は競合であっても情報交換を行うことができるなと感じます。だからこそ、人を育てていく事は社会課題であり、社会で行っていく必要があると思います。
堀江:最後に、坪井様ご自身が経営層として、経営に多様性が入ることの意義をどう捉えていらっしゃるのかを教えてください。
坪井:経営には女性に限らずDEIが必要だと思っています。現在当社は中途採用も増やしていますが、そのような多様なメンバーから多様な意見が出ないと、企業は意思決定を間違ってしまいます。多様な人がいてこそ、企業は強くなる。ただ、男性役員の中に女性役員が1人というようなあまりにマイノリティな存在だと、発言しにくいのも事実です。これについては、経営層が取り組んでいく必要がありますね。
多様性については、以前は、女性に対して「いてもいい」というような捉え方がなされていました。これは、男性がマジョリティで女性がマイノリティという捉え方だったから、女性は能力不足だけれども「いてもいい」だった。でも、今はそうではありません。多様な人材は「いた方がいい」のです。これからの企業は、専門性やジェンダー、国籍など、異なる強みや軸を持つ人が集まった経営チームでなければ存続できないのですから。